「人が死なない防災」から学ぶこと①

昨日は、水曜日の深夜の地震のことを書きました。

selfmanagementforkids.hatenablog.com

 

 

そして、昨夜も地震が来てしまいました。地域によっては16日と同じぐらいの揺れを感じた地域もあったかもしれません。心からお見舞い申し上げます。どうかこの先も大きな被害がありませんように。

 

 

 

昨日のブログに、「過去に書いた防災に関するブログ」をいくつか引用していました。抜粋して書くことはしていなかったのですが、最近ブログの読者になってくださった方もいらっしゃるし、当時読んでくださった方にも今一度立ち止まって読んでいただきたいと考え、今日は過去に書いた防災に関する一連のブログをリライトしていきたいと思います。

 

 

今一度防災に関して考えていただける機会になれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーー

東日本大震災で大津波に襲われた岩手県釜石市は、小中学生の生存率、九九・八%(学校管理下では一〇〇%)でした。なぜ子どもたちは生き延びることができたのか。

 

その答えが、一冊の本に記されています。

 

 

「人が死なない防災」

 

 

 

今日は、本の内容をご紹介しながら、防災に対する私の考えや経験を綴っていきます。

 

本の中にはこのようにあります。

日本の防災は、何が間違っているのだろうか。

私は、根こそぎやられてしまった被災地の瓦礫の中を歩きながら、考えました。

 

相手が自然である以上、時にはこのような巨大災害だって起こり得るのに、「100年確率」のような防災が進んできた過程で、いつしか自然を制圧したかのような驕りをもってしまったのではないか。自然の大いなる営みに対する畏敬の念を、完全に忘れてしまったのではないか。

そのような「甘え」をつくり出したのは、行政主体で進められてきた防災です。そして私たちは、いつの間にか、行政に身の安全を委ねる(ゆだねる)ようになってしまった。

 

 

みなさんが住んでいる地域にも、行政が発行した「ハザードマップ」があるでしょうか?

 

おそらく、地震や水害など、さまざまなことを「想定」したハザードマップが配布されているだろうと思います。

 

しかし、実は、この「ハザードマップ」はとても危険な存在です。

 

 

 

 

 

本の中には、一枚の衝撃的な資料が残されています。

 

 

この地図は、釜石市の地図です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/selfmanagementforkids/20200710/20200710221221.png

 

 

そして、図中の「丸」は亡くなった方のご自宅の位置を示しています。

 

 

この資料から、ハザードマップの「浸水想定区域」の外側で、多くの方が亡くなってしまったことが分かっていただけるだろうと思います。

 

 

 

浸水しないと想定されていた場所

 

ハザードマップでは「安全」だとされていた場所で、多くの方の尊い命が奪われてしまいました

 

 

この資料を初めてみた時、私は強い衝撃を覚えました。

 

 

 

 

本の著者の片田先生は、東日本大震災が起こる8年前の2004年から、釜石で「危機管理アドバイザー」を務めていらっしゃる方です。

 

釜石でどのような教育をしてきて、地震のあった当日、子どもたちがどのような行動をとったのか、本の中に書いてあります。

 

まず、ハザードマップを配ります。子どもたちの反応は、大方の大人たちの反応と一緒です。地図上で自分の家を見つけて「ああよかった、おれんちセーフ。おまえんちは?おまえんちアウト」セーフだアウトだ、と大騒ぎです。

 

ひとしきり大騒ぎした後で、私は子どもたちに問いかけます。「なあ、君の家はほんとうにセーフなのか?」

そうすると、子どもたちは答えます。「だって、(浸水想定区域の)色ついてないもん」。

まったくもって素直な反応ですね。さらに私は続けます。

「でもな、この色ってどうやってつけたんだっけ。明治三陸津波がもう一回来たらこうなりますよって意味だよな。じゃあ、この次の津波明治三陸津波なのか?」

「あっ、そうか」子どもたちはここで直ちに気づくのです。もちろん、大人だって多くの人は気づくのですが、その”気づき”に違いがあります。子どもたちは、即座に、心から理解したのです。

 

 

 

本の中には「生きるための指針」として三つのことが書かれています。

その一「想定にとらわれるな」

その二「最善を尽くせ」

その三「率先避難者たれ」

 

上記の「浸水想定区域」と実際の津波到達地域が違ったことを考えれば、「その一 想定にとらわれるな」の重要性は分かっていただけると思います。

 

 

 

 

「その二 最善を尽くせ」については、本の中に次のように書いてあります。

 

 

三原則の二つ目は「いかなる状況下においても最善を尽くせ」です

 

「最善を尽くせ。しかし、それでも君は死ぬかもしれない。でも、それは仕方がない。なぜならば、最善というのは、それ以上の対応ができないということだ。それ以上のことができないから、最善というんだ。精一杯のことをやっても、その君の力をしのぐような大きな自然の力があれば、死んでしまう。それが自然の摂理なんだ」

 

おそらく、学校の教育でこんなことは言わないでしょう。学校の先生方は「頑張りなさい。頑張ればできるようになるから」と言って励ますのが普通でしょう。でも、片田という群馬から来た先生は「頑張れ。でも死んじゃうかもしれないぞ」というわけです。

しかし、あえてそのように言うことが、「自然に向かい合う姿勢」を教えるためには大事なことだと思っています。相手は自然なのだから、どんなことだってあり得る。そういう事実に対して謙虚になって、そのうえで、我々ができる最善のことをやる。それが正しい姿勢でしょう。

 

「最善を尽くせ。しかし、それでも君は死ぬかもしれない」

 

これは本当に重たい言葉です。

 

 

しかし、相手は自然です。

 

 

「自然に対して謙虚になって、その上で、我々ができる最善のことをやろう」

 

このことを、本当に心の底から子どもたちは理解して育っていったことが、これから先に書くエピソードがよくあらわしています。

 

 

 

 

 

 

 

片田先生が危機管理アドバイザーを始めたのが2004年だったので、「地域で防災に一番詳しいのは中学生」とされていました。そして、事実、中学生たちが、街の多くの方の命を助けてくれました。本の中には具体的に書いてあります。

 

大槌湾の近くに、この地域の唯一の中学校である釜石東中学校があります。その隣には、鵜住居(うのすまい)小学校があります。

 

釜石東中学校は、当日、校長先生が不在でした。

ある先生が「逃げろ!」と叫んだのを聞いて、最初に逃げたのはサッカー部員たちだったそうです。グラウンドに地割れが入ったのを見た彼らは、校舎に向かって「津波が来るぞ!逃げるぞ!」と大声を張り上げ、そのまま走り始めて、鵜住居小学校の校庭を横切ります。そして、小学校の校舎に向かって「津波が来るぞ!逃げるぞ!」と声をかけながら、避難場所に向かって全力で走っていきました。

 

地割れが走ったのを見て、とっさに「津波が来るぞ!逃げるぞ!」と校舎に向かって叫んで走り出したサッカー部の部員たち。そしてそのまま走りながら、小学校の校舎に向かって「津波が来るぞ!逃げるぞ!」と声をかけた、このときの中学生たちのことを想うと、心が震え、息をのみました。

 

さらに、本の中ではこのように続きます。

実は、小学生たちは、当初、校舎内の3階に避難しているところでした。

 

鵜住居(うのすまい)小学校は、そのとき耐震補強が終わったばかりの鉄筋コンクリートの三階建てでした。そして、ハザードマップ上では「津波は来ない」エリアです。さらに、当日は雪が降っていたこともあって、先生方は子どもたちを三階へ誘導していました。決して的外れな行動ではありません。ところが、この二つの学校は、普段から共同で「ございしょの里」まで逃げるという避難訓練をやっていました。小学校の子どもたちは日頃一緒に訓練している中学生たちが全力で駆けていくのを見て、三階から降りてきて、その列に加わったのです。結局、およそ600人の小中学生たちが、細い道を通って「ございしょの里」へ向かいました。

また、この地域では、津波にいちばん詳しいのは中学生ということになっていました。学校の近所に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんたちも、その中学生たちが血相を変えて逃げていく光景を見て、それに引き込まれるようにして、一緒に逃げ始めました。

同じ地域にある鵜住居保育園でも、保育士さんたちがゼロ歳児をおんぶして、ほかの小さな子どもたちを五、六人乗りのベビーカーに乗せて、坂道を上がっていきました。それを中学生たちが見つけて、女の子はベビーカーに載れない子どもを抱きかかえ、男の子はベビーカーを押してあげた。そうやって、みんなで「ございしょの里」に入っていきました。

 

小学校の先生たちは小学生を三階に誘導しようとした。それも決して間違った判断ではなかった。でも、子どもたちは、きちんと自分たちで判断をして、校舎の三階から降りてきて、中学生の列に加わったのです。これは本当に素晴らしいことだと思います。

 

「想定にとらわれるな、最善を尽くせ」

「自分の命は、自分で守る」

ということを、”本当の意味で”よく理解した子どもたちの判断を、心から尊敬します。

 

 

f:id:selfmanagementforkids:20200711153802j:image

 

本には避難時の写真も一枚残されています。

この写真をよく見ると、小学生と中学生が手をつないでいるのが分かります。帽子をかぶっているのが小学生。その隣にいて帽子をかぶっていないのが中学生です。中学生が小学生を伴走しながら励ましながら逃げているのです。

また、写真を拡大していただければわかりますが、ゆっくり歩いているのではなく、みんなで走っている様子も、体の角度や様子からよくわかります。みんながまっすぐ前を向いて、走って逃げています。

小学生はきっと「もうきついな、立ち止まりたいな、歩きたいな」と思った時があったかもしれません。それでも、隣をむけば真っ直ぐ前を向いた中学生のお兄さん、お姉さんがいてくれる。小学生はきっと「頑張らなきゃ、走らなきゃ」と思えたのではないかと想像します。

 

 

「想定にとらわれるな、最善を尽くせ」

「自分の命は、自分で命を守る」

長年受けてきた防災教育の成果を、今ここで、子どもたちは実行しているのです。 

 

そして無事に、街のひとたちも巻き込みながら、みんなで「ございしょの里」に到着しました。しかし、話はここでは終わりません。結論から言うと、「ございしょの里」にもこの後津波がやってきてしまいます。

 

 

そうやって、みんなで「ございしょの里」に入っていきました。

 

ところが、「ございしょの里」の裏の崖が地震で崩れかけていた。それに気づいたある中学生がこう言ったそうです。

「先生、ここ、崖が崩れかけているから危ない。それに揺れが大きかったから、ここも津波来るかもしれない。もっと高いところへ行こう。」

 

「ございしょの里」よりもさらに高台に、介護福祉施設があります。「やまざき機能訓練デイサービスホーム」といって、通称「やまざき」ともいうのですが、子どもたちが「先生、やまざき行こう、やまざき」と言い始めるわけです。この頃には、すでに津波は町へ到達していて、防波堤に津波が当たって水しぶきがあがる光景が見えています。家々が壊れ、土煙が上がる光景も見える。それを見た小学生が、「あー、僕んちがー」と泣きじゃくるような状態だったと言います。みんなは懸命に「やまざき」まで移動をはじめました。

どうにかこうにか、みんなが「やまざき」に逃げ込んだその30秒後、津波は「やまざき」の手前までやって来て、そこで瓦礫が渦を巻きました。

 

それを見た瞬間、子どもたちはクモの子を散らすように、懸命に、一斉に逃げ始めました。子どもたちは、小さな子どもやお年寄りとともに、さらに高台にある国道四十五号線沿いにある石材店までいきました。

 

本当にギリギリのところで、生き延びることができたのです。それは、中学生が「先生、ここは危ない。次へ行こう」と言った、このひと言に始まったと思います。

 

本の中に、こんな地図が載っています。黒く塗りつぶされているところが、当時のハザードマップの「津波浸水想定区域」で、黒い線が「東日本大震災での浸水範囲」です。

f:id:selfmanagementforkids:20200711153756j:plain

 

釜石東中学校も、鵜住居(うのすまい)小学校も、当時のハザードマップ上では「浸水想定区域」の外でした。あらかじめ決めておいた避難場所である「ございしょの里」は、中学校や小学校よりもはるかに高台にあります。

 

きっと大人たちは「まさかございしょの里までは津波は来ないだろう」と考えて、ここを避難場所に設定したのだろうと思います。

 

しかし、この地図からも分かるように「ございしょの里」も結果的には津波で浸水しています。そして、さらにその後に避難した「やまざき」の本当に手前まで、津波はやってきました。

 

 

 「最善を尽くせ。しかし、それでも君は死ぬかもしれない。でも、それは仕方がない。なぜならば、最善というのは、それ以上の対応ができないということだ。それ以上のことができないから、最善というんだ。精一杯のことをやっても、その君の力をしのぐような大きな自然の力があれば、死んでしまう。それが自然の摂理なんだ」

 

その教えが肌にしみこんでいた子どもたちは、「もっと上に行こう、やまざき行こう、やまざき」と言った。自分たちの判断で、やまざきを目指した。中学生たちはグラウンドから走り出した時から、その瞬間瞬間で、何が最善なのか、自分にはまだできることはないかを考えながら必死で逃げたと思います。時には小学生を励まし、時には保育園児を抱っこしながら、文字通り最善を尽くしたと思います。そんな釜石の子どもたちを思うと、息を飲むことしかできません。

 

「想定していた避難場所を変える」ということは、大人でもなかなかできることではないと思います。学校から必死の思いで逃げてきて、やっと避難場所の「ございしょの里」に着いたのです。建物の中に入って、ホッと一息ついてもいいと思うのに、子どもたちはさらに上へと逃げた。結果的には、そのおかげで、尊い600名の児童の命が救われました。それは決して簡単なことではなく、本当にすごいことだと思います。

 

 

 

 

私はこの本を読んだあと、ひとりで釜石に行きました。そして「四十五号線沿いの石材店」を探しました。

 

登っても登っても石材店はなかなか見つからないので、今はもう石材店はないのかなと思った道の先に、ひとつの石材店を見つけました。それは、山の上の、高い高い山道の脇にありました。まさかこの手前まで津波がくるなんて、だれが想像できるだろうか、という場所でした。これが「自然の力」なのかとため息をつきました。

 

釜石に行って思ったことは、釜石は海と山がとても近い地形をしているということです。少し登ると高いところに行ける。その地形のおかげで多くの命が助かったのかもしれないと、現地に行って感じました。しかし、裏を返せば、海は近いものの、「ほんの少し登ればもう高台」なので、当時のハザードマップ上で「浸水区域」とはされていなかった地域は「到底こんなところまで津波は来ない」と考えても致し方がないと思えるほどの高台でした。

 

でも、そこに津波がやってきた。

 

「想定にとらわれるな」「最善を尽くせ」「自分の命は自分で守れ」そんな教えが肌にしみ、「自然に向かい合う姿勢」を正しく知った子どもたちが、自分の、そして街の多くの方の命を救ったのだと思います。

 

 

私たちに釜石の子どもたちと同じことができるでしょうか。

 

緊急地震速報といい、雨雲レーダーといい、テクノロジーは進化しています。おかげで私たち人間は、まるで自然を制覇したような錯覚を覚えることがないでしょうか。しかし、それは間違いです。自然は私たちの想像をはるかに超えるほど偉大で、到底私たちがおよぶものではありません。そのことを、「本当の意味で」理解しなければ、釜石の子どもたちと同じ判断と行動はできないと思います。

 

私たちは今一度、自然に対して謙虚になる必要があると思います。

 

自然に対して謙虚になって、最善を尽くす必要があるでしょう。

 

 

 

 

抜粋しながらリライトするつもりがとても長くなってしまいました。

続きは明日書きます。

 

 

今日のブログの中には、本に書いてある内容を多く引用させていただきました。先生自身がひとりでも多くの命を救いたいと考えていらっしゃる方なので、一人でも多くの方に知っていただくため、あえてブログに本の内容を書かせていただいた面もあります。ただ、先生の大事な著作物ですし、ブログでご紹介しきれない大事なことが本の中には多く書かれているので、ぜひご自身で本を手に取って読んでください。

 

残り11点。924円です。

 

Kindle版は748円で読むことができます。

 

 

今日も読んでいただきありがとうございます。明日もこの話を続けます。少しでも多くの方の目に留まると良いと思っています。

にほんブログ村 子育てブログ ワーキングマザー育児へ

にほんブログ村 子育てブログ 小学生の子へ
にほんブログ村 子育てブログ 中学生の子へ